1991巨人ドラフト選手成績分析 谷口功一と小原沢重頼、4位伊藤博康は一軍9試合4安打

巨人

YOMIURI GIANTS DRAFT HISTORY · 1991

巨人での初勝利と、移籍先で残した登板

対象:1991年ドラフト 資料確認日:2026年10月31日

1991年の巨人は、天理高の谷口功一と城西大の小原沢重頼を上位で指名した。捕手の松岡正樹、外野手の伊藤博康、投手の三好正晴と羽根川竜が続き、6人全員が加入。巨人で勝利を挙げた小原沢、移籍先で登板した谷口と羽根川、初年度に4安打を放った伊藤を中心に、一軍の年別成績から獲得選手の歩みを読む。

1991 YOMIURI GIANTS DRAFT

1位

谷口功一

指名・入団
1991年巨人 1位指名/1992年新人名簿掲載
守備位置
投手
投打
右投左打
生年月日
1973年5月4日
指名・入団前の経歴
天理高
NPB在籍
1992–1997年 読売、1998年 西武、1999年 大阪近鉄
身長・体重
191cm/98kg(NPB掲載値)
投球成績(クリックで開閉)
谷口功一 投球成績(年度別・通算)
年度 年齢 所属球団 一軍
登板 勝利 敗北 セーブ H HP 完投 完封勝 無四球 勝率 打者 投球回 安打 本塁打 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
1992 19 読売 一軍公式戦の当種目記録なし
1993 20 3 0 0 0 0 0 0 .000 22 4 4 2 5 0 5 0 0 5 4 9.00
1994 21 一軍公式戦の当種目記録なし
1995 22 一軍公式戦の当種目記録なし
1996 23 一軍公式戦の当種目記録なし
1997 24 一軍公式戦の当種目記録なし
1998 25 西武 一軍公式戦の当種目記録なし
1999 26 大阪近鉄 4 0 0 0 0 0 0 .000 16 3⅓ 3 0 4 0 4 1 0 2 2 5.40
通算 — 全所属球団 7 0 0 0 0 0 0 .000 38 7⅓ 7 2 9 0 9 1 0 7 6 7.36
巨人計 — 読売 3 0 0 0 — — 0 0 0 — 22 4 4 2 5 0 5 0 0 5 4 9.00

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

一軍年度別・通算はNPB公式の全掲載項目を使用し、同年移籍は球団別に表示します。2003年以前の指名組のため二軍成績は掲載しません。

原表の空欄・非掲載・本人行なしを区別します。

巨人計は、公式年度別の読売在籍分を独自集計した小計です。全所属球団の公式通算とは区別しています。

谷口は1998年西武でも在籍を確認するが一軍投打・守備の本人行はなく、1999年大阪近鉄の実投球を含める。小原沢1998年千葉ロッテ、伊藤1996・1997年福岡ダイエーも、在籍と実出場なしを区別する。

以下の出典には、この年の指名・獲得区分や在籍名簿の照合資料も含みます。

投球成績の出典:123456789101112131415161718192021222324252627282930

守備成績(クリックで開閉)
谷口功一 守備成績(年度別・守備位置別)
年度 年齢 所属球団 守備位置 一軍
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 19 読売 — 確認した守備表に本人の記録なし
1993 20 投手 3 0 1 0 0 1.000
1994 21 — 確認した守備表に本人の記録なし
1995 22 — 確認した守備表に本人の記録なし
1996 23 — 確認した守備表に本人の記録なし
1997 24 — 確認した守備表に本人の記録なし
1998 25 西武 — 確認した守備表に本人の記録なし
1999 26 大阪近鉄 投手 4 0 0 0 0 .000

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

守備は年度・球団・守備位置ごとの原掲載項目を使用しています。原表の空欄や非掲載を0で補わず、位置別の試合数を合算しません。

2004年以前の守備は2689webの年度別原表を参照しています。原サイトにない項目は補いません。

谷口は1998年西武でも在籍を確認するが一軍投打・守備の本人行はなく、1999年大阪近鉄の実投球を含める。小原沢1998年千葉ロッテ、伊藤1996・1997年福岡ダイエーも、在籍と実出場なしを区別する。

守備成績の出典:12345678

1位の谷口は天理高出身の右投手で、NPB掲載の身長は191センチ。最初の選手在籍年である1992年には一軍出場がなく、1993年に3登板、4回を記録した。5奪三振を奪う一方で5四球、2被本塁打、4自責点を残し、防御率は9.00。勝敗はつかず、一軍で投げた量はまだ小さかった。

その後、巨人在籍中の1994年から1997年まで一軍出場はなかった。巨人での成績は1993年の3登板だけであり、1位指名から継続的な一軍の投球量につながったとは言い難い。1998年には西武へ移ったが、この年も一軍出場を記録していない。球団が変わっただけで直ちに登板の機会が増えたわけではなかった。

再び一軍で投げたのは大阪近鉄に在籍した1999年。4登板、3回⅓、4奪三振、4四球、2自責点、防御率5.40だった。1993年より登板数は一つ多いが、投球回は短い。6年を隔てた二つの登板年を比べても、どちらも数試合の範囲にとどまり、長期の安定した起用を示す数字ではない。

通算は7登板、7回⅓、0勝0敗、9奪三振、9四球、防御率7.36。巨人、西武、近鉄という3球団で8年のNPB選手在籍がある一方、実際に一軍登板があったのは2シーズンだった。奪三振と同じ数の四球を出した成績からは、打者を抑えた場面と走者を出した場面の両方が見える。ただし22アウト分の記録であり、在籍した8年間すべての投球内容を代表するものではない。

1991 YOMIURI GIANTS DRAFT

2位

小原沢重頼

指名・入団
1991年巨人 2位指名/1992年新人名簿掲載
守備位置
投手
投打
右投右打
生年月日
1969年8月9日
指名・入団前の経歴
浦和実 → 城西大
NPB在籍
1992–1997年 読売、1998年 千葉ロッテ
身長・体重
182cm/80kg(NPB掲載値)
投球成績(クリックで開閉)
小原沢重頼 投球成績(年度別・通算)
年度 年齢 所属球団 一軍
登板 勝利 敗北 セーブ H HP 完投 完封勝 無四球 勝率 打者 投球回 安打 本塁打 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
1992 23 読売 6 1 2 0 0 0 0 .333 117 25 28 5 14 1 16 4 0 19 18 6.48
1993 24 一軍公式戦の当種目記録なし
1994 25 一軍公式戦の当種目記録なし
1995 26 17 0 1 0 0 0 0 .000 106 22 24 4 20 1 13 1 0 16 16 6.55
1996 27 22 2 4 0 0 0 0 .333 127 28 22 6 21 2 25 3 1 21 20 6.43
1997 28 2 0 0 0 0 0 0 .000 11 2 1 0 4 0 1 0 0 2 2 9.00
1998 29 ロッテ 一軍公式戦の当種目記録なし
通算 — 全所属球団 47 3 7 0 0 0 0 .300 361 77 75 15 59 4 55 8 1 58 56 6.55

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

一軍年度別・通算はNPB公式の全掲載項目を使用し、同年移籍は球団別に表示します。2003年以前の指名組のため二軍成績は掲載しません。

原表の空欄・非掲載・本人行なしを区別します。

谷口は1998年西武でも在籍を確認するが一軍投打・守備の本人行はなく、1999年大阪近鉄の実投球を含める。小原沢1998年千葉ロッテ、伊藤1996・1997年福岡ダイエーも、在籍と実出場なしを区別する。

投球成績の出典:12345678

守備成績(クリックで開閉)
小原沢重頼 守備成績(年度別・守備位置別)
年度 年齢 所属球団 守備位置 一軍
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 23 読売 投手 6 1 5 0 0 1.000
1993 24 — 確認した守備表に本人の記録なし
1994 25 — 確認した守備表に本人の記録なし
1995 26 投手 17 0 9 1 0 .900
1996 27 22 0 6 0 0 1.000
1997 28 2 0 1 0 0 1.000
1998 29 ロッテ — 確認した守備表に本人の記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

守備は年度・球団・守備位置ごとの原掲載項目を使用しています。原表の空欄や非掲載を0で補わず、位置別の試合数を合算しません。

2004年以前の守備は2689webの年度別原表を参照しています。原サイトにない項目は補いません。

谷口は1998年西武でも在籍を確認するが一軍投打・守備の本人行はなく、1999年大阪近鉄の実投球を含める。小原沢1998年千葉ロッテ、伊藤1996・1997年福岡ダイエーも、在籍と実出場なしを区別する。

守備成績の出典:1234567

2位の小原沢は浦和実業高から城西大を経て入った右投手で、谷口より早く初年度の1992年に一軍で投げた。6登板、25回、1勝2敗、16奪三振、防御率6.48。同期の中で最初の年に勝利を記録した投手だが、28被安打、14四球、5被本塁打、18自責点と、走者や失点を抑える点には課題の残る成績だった。

1993・1994年は一軍出場がなく、1995年に17登板、22回で復帰した。初年度より登板数は増えたものの、投球回は25回から22回へ減っている。1試合当たりに投げた量が短くなった変化を、試合数だけでは捉えにくい。0勝1敗、防御率6.55で、20四球に対して13奪三振だった。

1996年は22登板、28回、2勝4敗、25奪三振、防御率6.43。登板、投球回、勝利、奪三振はいずれも自身最多となった。1995・1996年を合わせると39登板50回で、通算47登板77回のうち多くをこの2年間に投げている。ただし1996年は21四球、6被本塁打、20自責点があり、登板機会の増加が防御率の大幅な改善と重なったわけではない。

1997年は2登板2回にとどまり、翌1998年の千葉ロッテでは一軍に出ていない。通算3勝7敗、55奪三振、59四球、防御率6.55で、一軍の全47登板は巨人でのものだった。一軍で勝利を残した一方、一軍から遠ざかった年も複数あり、毎年まとまった投球量を積み重ねるキャリアにはならなかった。

1991 YOMIURI GIANTS DRAFT

3位

松岡正樹

指名・入団
1991年巨人 3位指名/1992年新人名簿掲載
守備位置
捕手
投打
右投右打
生年月日
1973年1月24日
指名・入団前の経歴
平安高
NPB在籍
1992–1995年 読売
身長・体重
176cm/72kg(1992年補完名鑑掲載値)
打撃成績(クリックで開閉)
松岡正樹 打撃成績(年度別・通算)
年度 年齢 所属球団 一軍
試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 長打率 出塁率 OPS
1992 20 読売 一軍公式戦の当種目記録なし
1993 21 一軍公式戦の当種目記録なし
1994 22 一軍公式戦の当種目記録なし
1995 23 一軍公式戦の当種目記録なし
通算 — 全所属球団 一軍公式戦の当種目記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

一軍年度別・通算はNPB公式の全掲載項目を使用し、同年移籍は球団別に表示します。2003年以前の指名組のため二軍成績は掲載しません。

原表の空欄・非掲載・本人行なしを区別します。

NPB公式名簿に個人成績へのリンクはなく、生年月日・投打・体格は今回再確認した二次選手名鑑の値。年齢は同値から翌年4月1日時点で算出。公式在籍は別資料で確認。

日刊の指名時年齢は20歳、二次選手名鑑の生年月日1973年1月24日から当日を計算すると18歳で資料差がある。本表の年齢は上記生年月日を用い、差の原因は断定しない。

OPSは整数原値から出塁率と長打率を計算・加算し、最後に小数第3位へ四捨五入した独自計算値です。

打撃成績の出典:12345

守備成績(クリックで開閉)
松岡正樹 守備成績(年度別・守備位置別)
年度 年齢 所属球団 守備位置 一軍
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 20 読売 — 確認した守備表に本人の記録なし
1993 21 — 確認した守備表に本人の記録なし
1994 22 — 確認した守備表に本人の記録なし
1995 23 — 確認した守備表に本人の記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

守備は年度・球団・守備位置ごとの原掲載項目を使用しています。原表の空欄や非掲載を0で補わず、位置別の試合数を合算しません。

2004年以前の守備は2689webの年度別原表を参照しています。原サイトにない項目は補いません。

NPB公式名簿に個人成績へのリンクはなく、生年月日・投打・体格は今回再確認した二次選手名鑑の値。年齢は同値から翌年4月1日時点で算出。公式在籍は別資料で確認。

日刊の指名時年齢は20歳、二次選手名鑑の生年月日1973年1月24日から当日を計算すると18歳で資料差がある。本表の年齢は上記生年月日を用い、差の原因は断定しない。

守備成績の出典:1234

3位の松岡は平安高出身の捕手。1992年の新人名簿では捕手58で、NPB公式名簿に載る巨人での選手在籍は1992年から1995年の4年間だった。一軍公式戦への出場はなく、捕手としての一軍打撃成績も残っていない。同期の野手である伊藤が初年度に一軍で打席を得たのに対し、松岡は確認できる選手期間中に一軍出場へ届かなかった。

1991 YOMIURI GIANTS DRAFT

4位

伊藤博康

指名・入団
1991年巨人 4位指名/1992年新人名簿掲載
守備位置
外野手
投打
右投右打
生年月日
1969年9月13日
指名・入団前の経歴
学法石川高 → 東北福祉大
NPB在籍
1992–1995年 読売、1996–1997年 福岡ダイエー
身長・体重
181cm/77kg(NPB掲載値)
打撃成績(クリックで開閉)
伊藤博康 打撃成績(年度別・通算)
年度 年齢 所属球団 一軍
試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 長打率 出塁率 OPS
1992 23 読売 9 22 19 2 4 2 0 0 6 0 0 0 0 0 3 0 5 0 .211 .316 .318 .634
1993 24 一軍公式戦の当種目記録なし
1994 25 一軍公式戦の当種目記録なし
1995 26 一軍公式戦の当種目記録なし
1996 27 福岡ダイエー 一軍公式戦の当種目記録なし
1997 28 一軍公式戦の当種目記録なし
通算 — 全所属球団 9 22 19 2 4 2 0 0 6 0 0 0 0 0 3 0 5 0 .211 .316 .318 .634

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

一軍年度別・通算はNPB公式の全掲載項目を使用し、同年移籍は球団別に表示します。2003年以前の指名組のため二軍成績は掲載しません。

原表の空欄・非掲載・本人行なしを区別します。

谷口は1998年西武でも在籍を確認するが一軍投打・守備の本人行はなく、1999年大阪近鉄の実投球を含める。小原沢1998年千葉ロッテ、伊藤1996・1997年福岡ダイエーも、在籍と実出場なしを区別する。

OPSは整数原値から出塁率と長打率を計算・加算し、最後に小数第3位へ四捨五入した独自計算値です。

打撃成績の出典:1234567

守備成績(クリックで開閉)
伊藤博康 守備成績(年度別・守備位置別)
年度 年齢 所属球団 守備位置 一軍
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 23 読売 外野手 6 9 0 0 0 1.000
1993 24 — 確認した守備表に本人の記録なし
1994 25 — 確認した守備表に本人の記録なし
1995 26 — 確認した守備表に本人の記録なし
1996 27 福岡ダイエー — 確認した守備表に本人の記録なし
1997 28 — 確認した守備表に本人の記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

守備は年度・球団・守備位置ごとの原掲載項目を使用しています。原表の空欄や非掲載を0で補わず、位置別の試合数を合算しません。

2004年以前の守備は2689webの年度別原表を参照しています。原サイトにない項目は補いません。

谷口は1998年西武でも在籍を確認するが一軍投打・守備の本人行はなく、1999年大阪近鉄の実投球を含める。小原沢1998年千葉ロッテ、伊藤1996・1997年福岡ダイエーも、在籍と実出場なしを区別する。

守備成績の出典:123456

4位の伊藤は学法石川高から東北福祉大を経て加入した外野手で、1992年に9試合、22打席を得た。19打数4安打、打率.211で、4安打のうち2本が二塁打。安打数は少ないながらも、その半分を長打にした点が初年度の打撃記録に表れている。本塁打と打点はなく、2得点、3四球、5三振を記録した。

打率.211に対し、出塁率は.318、長打率は.316だった。安打だけでなく3四球を選んだ分が出塁の数字に加わっている。一方、打席は22にすぎず、この率を大きな打席数の打者と同じ重さで評価することはできない。9試合出場という事実と、その中で残した4安打の内容を分けて読むのが適切だ。

一軍で打ったのはこの1992年だけで、巨人での1993年から1995年には一軍出場がない。1996年から1997年には福岡ダイエーに在籍したが、ここでも一軍での出場は記録されていない。6年間のNPB選手在籍に対し、通算打撃成績は初年度の9試合、4安打のままで終わった。下位指名から一軍に届いた野手ではあるが、複数年の出場を確保した選手ではなかった。

1991 YOMIURI GIANTS DRAFT

5位

三好正晴

指名・入団
1991年巨人 5位指名/1992年新人名簿掲載
守備位置
投手
投打
右投右打
生年月日
1973年8月30日
指名・入団前の経歴
川口工業高
NPB在籍
1992–1993年 読売
身長・体重
181cm/75kg(1992年補完名鑑掲載値)
投球成績(クリックで開閉)
三好正晴 投球成績(年度別・通算)
年度 年齢 所属球団 一軍
登板 勝利 敗北 セーブ H HP 完投 完封勝 無四球 勝率 打者 投球回 安打 本塁打 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
1992 19 読売 一軍公式戦の当種目記録なし
1993 20 一軍公式戦の当種目記録なし
通算 — 全所属球団 一軍公式戦の当種目記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

一軍年度別・通算はNPB公式の全掲載項目を使用し、同年移籍は球団別に表示します。2003年以前の指名組のため二軍成績は掲載しません。

原表の空欄・非掲載・本人行なしを区別します。

NPB公式名簿に個人成績へのリンクはなく、生年月日・投打・体格は今回再確認した二次選手名鑑の値。年齢は同値から翌年4月1日時点で算出。公式在籍は別資料で確認。

投球成績の出典:123

守備成績(クリックで開閉)
三好正晴 守備成績(年度別・守備位置別)
年度 年齢 所属球団 守備位置 一軍
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 19 読売 — 確認した守備表に本人の記録なし
1993 20 — 確認した守備表に本人の記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

守備は年度・球団・守備位置ごとの原掲載項目を使用しています。原表の空欄や非掲載を0で補わず、位置別の試合数を合算しません。

2004年以前の守備は2689webの年度別原表を参照しています。原サイトにない項目は補いません。

NPB公式名簿に個人成績へのリンクはなく、生年月日・投打・体格は今回再確認した二次選手名鑑の値。年齢は同値から翌年4月1日時点で算出。公式在籍は別資料で確認。

守備成績の出典:12

5位の三好は川口工業高出身の右投手で、1992年新人名簿では投手64。NPB公式名簿に確認できるのは巨人の1992・1993年で、一軍公式戦への出場はない。高校から入った同年の谷口が2年目に初登板したのに対し、三好はその1993年までの選手期間に一軍登板を記録しなかった。6人の中では、確認できるNPB選手在籍が最も短い。

1991 YOMIURI GIANTS DRAFT

6位

羽根川竜

指名・入団
1991年巨人 6位指名/1992年新人名簿掲載
守備位置
投手
投打
左投左打
生年月日
1973年6月5日
指名・入団前の経歴
東北高
NPB在籍
1992–1996年 読売、1997–1998年 千葉ロッテ
身長・体重
183cm/75kg(NPB掲載値)
投球成績(クリックで開閉)
羽根川竜 投球成績(年度別・通算)
年度 年齢 所属球団 一軍
登板 勝利 敗北 セーブ H HP 完投 完封勝 無四球 勝率 打者 投球回 安打 本塁打 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
1992 19 読売 一軍公式戦の当種目記録なし
1993 20 一軍公式戦の当種目記録なし
1994 21 一軍公式戦の当種目記録なし
1995 22 一軍公式戦の当種目記録なし
1996 23 一軍公式戦の当種目記録なし
1997 24 ロッテ 7 0 0 0 0 0 0 .000 24 5⅓ 6 1 2 0 4 0 0 3 3 5.06
1998 25 2 0 0 0 0 0 0 .000 3 0⅓ 2 1 0 0 0 0 0 1 1 27.00
通算 — 全所属球団 9 0 0 0 0 0 0 .000 27 5⅔ 8 2 2 0 4 0 0 4 4 6.35
巨人計 — 読売 一軍公式戦の当種目記録なし

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

一軍年度別・通算はNPB公式の全掲載項目を使用し、同年移籍は球団別に表示します。2003年以前の指名組のため二軍成績は掲載しません。

原表の空欄・非掲載・本人行なしを区別します。

巨人計は、公式年度別の読売在籍分を独自集計した小計です。全所属球団の公式通算とは区別しています。

羽根川の読売1992–1996年は公式戦の本人行がなく、実投球は千葉ロッテ1997・1998年のみ。読売小計の無出場状態を空集計0へ置換しない。

投球成績の出典:12345678

守備成績(クリックで開閉)
羽根川竜 守備成績(年度別・守備位置別)
年度 年齢 所属球団 守備位置 一軍
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 19 読売 — 確認した守備表に本人の記録なし
1993 20 — 確認した守備表に本人の記録なし
1994 21 — 確認した守備表に本人の記録なし
1995 22 — 確認した守備表に本人の記録なし
1996 23 — 確認した守備表に本人の記録なし
1997 24 ロッテ 投手 7 0 0 0 0 .000
1998 25 2 0 0 0 0 .000

年齢は各成績年度の翌年4月1日時点の満年齢。通算と生年月日未確認の場合は「—」。

守備は年度・球団・守備位置ごとの原掲載項目を使用しています。原表の空欄や非掲載を0で補わず、位置別の試合数を合算しません。

2004年以前の守備は2689webの年度別原表を参照しています。原サイトにない項目は補いません。

羽根川の読売1992–1996年は公式戦の本人行がなく、実投球は千葉ロッテ1997・1998年のみ。読売小計の無出場状態を空集計0へ置換しない。

守備成績の出典:1234567

6位の羽根川は東北高出身の左投手。巨人では1992年から1996年まで5年間在籍したが、一軍出場はなく、最初の登板は千葉ロッテに移った1997年だった。7登板、5回⅓、4奪三振、2四球、防御率5.06。巨人での一軍成績がないことと、NPB全体で未登板だったことは同じではなく、羽根川の実績は移籍先にある。

1998年は2登板で、投球回は⅓。対戦した打者は3人、2被安打、1被本塁打、1自責点で、防御率は27.00となった。この高い率は一つのアウトに対する1自責点の結果であり、多くの回を投げて失点を重ねたケースとは規模が違う。前年の5回⅓から登板量は大きく減った。

通算は9登板、5回⅔、0勝0敗、4奪三振、防御率6.35。巨人での5年と千葉ロッテでの2年、合わせて7年の選手在籍のうち、一軍登板は最後の2シーズンに集中した。大きな通算実績ではないが、巨人で投げる機会がなかった左投手が、別球団で一軍の記録を残したという経過は確認できる。

総括 初出場から先の継続に苦しんだ6人

全体的に厳しい結果となった。この年の巨人で最も登板を重ねたのは小原沢だが、NPB通算勝利は僅か3勝で、他に勝利を収めた投手はいなかった。あとは谷口が大阪近鉄、羽根川は千葉ロッテでも一軍登板を残し、伊藤は初年度に4安打を放ったがその程度で、松岡と三好は一軍未出場に終わった。獲得選手があまりチームの軸として活躍できなかった年が続いてしまった。

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